石勝線楓駅 最終列車レポート(2004.3.12)

石勝線 楓駅

駅ノート

車で楓駅に到着すると、駅にはファンと思われる人が少し残っていました。私はすぐに駅舎に向かっていたのですが、友人が「停まっていたJR関係者の車に駅ノートがあった」と言うので、本州の友人が交渉して見せて頂くことになりました。

駅舎内で駅ノートを見ていたのですが、ゲームのキャラクターが記載されているノートについて職員の方に説明するのは大変でしたよ…。お互い、駅の品位としては良くないという思いは同じでしたが…。

12時に駅舎を施錠すると言うことなので、それまで駅ノートを読んでいたのですが、他にもファンの方々が駅舎に入ってきて、いろいろと楓駅に関する話をしていました。 そうしていると、ある人が「ここにいる人達でベンチに座ってる写真を撮ろうか」と言ったので、誰も嫌がることなく、笑いながら撮ってましたね。

そして、外に出て、駅名標と一緒に集合写真も撮ってしまいました。周りには保線区の人やJR北海道の職員、そして、取材に来ていた北海道放送のクルーがいたというのに…。 職員の方は、保線区員に「鉄道ファンが写真撮ってるから、もうちょっと待って」と言っていただく等、親切にして頂きました。

全ての写真が撮り終わると、ついに駅名標の取り外しになります…。作業員の手でボトルが緩められ、全て外し終わり、駅名標が外され、ホームに置かれる…。駅の廃止というものは、臨時列車を走らせるのではなく、この駅名標の取り外しということで実感できるものであると言うことが、改めて感じられましたよ…。

駅名標撤去・ボルト取り外し 駅名標撤去 駅名標撤去後

作業員は特急ホームの方で作業をはじめ、JR北海道の職員の方は車で帰っていきましたが、我々ファンは少しの間外で楓駅話をしていました。そして、風が冷たくなり、雪も降ってきたので、解散することに。急に雪が降ってきたので、思わず空からの演出かとも思いましたね…。

楓駅・駅舎

石勝線・楓駅、2004年3月12日をもって23年の歴史に幕が降りました…。

おわりに…

「石勝線 楓駅」、私がこの駅のことを知ったのは今から5年半ほど前でした。当時はまだ夕方の便が残っていて1日2往復運行されていましたが、何処か惹かれるものがあったんでしょう。その後、私が大学に入ってからもこの駅のことはいつも気にかけていました。ちょうど早朝の1便のみになったのと同じ時期というのもありますし…。

それから楓駅は2001年7月のダイヤ改正で日曜運休ダイヤとなってしまい、いつ無くなってもおかしくない状況になりました。 どうしてもこの駅に行きたいと思っていた私は、2002年1月に夕鉄バスを使って駅舎に訪れることは叶いました。しかし、鉄道の駅であるので、「一度は鉄路で行きたい」と言う思いが一層大きなものになっていきました。

2003年夏、大学4年となった私は、旅行の最終行程に鉄路での楓駅訪問を付け加えることにしました。しかし、旅行資金に余裕が無く、追分駅付近での野宿という無謀な計画でしたが。体調も崩すことなく、鉄路での楓駅訪問は無事行うことが出来ましたが、その時にはすでに「楓駅廃止」という情報がマスメディアを通して発表されていました。駅に降り立ったときには、もう鉄路で来ることはないだろう…、そう感じずにはいられませんでした。

様々な事情から最終日の様子は見に行けないと思っていましたが、いつき氏が夕張まで車を出してくれたため、最終日の楓駅を見に行くことが出来ました…。また、当初想定していなかった定期便への乗車も行うことが出来、思い残すことは無くなりましたね…。 そして、駅名標が外される現場にも立ち会えたというのが、今回の楓駅訪問の中では一番印象に残っています…。

今回の訪問に際して、運転手のいつきさん、同行したおいっちさんには大変お世話になりました。また、駅名標を外す際にご一緒させて頂きましたG・Zeppelinさん・ひろみさん・とかちみつまたさんには、大変貴重な経験をさせて頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。

楓駅は信号場としての役目を果たしていきますが、これからも時間があれば楓信号場の訪問も行ってみたいと思います。 鉄道では楓地区には行けなくなりましたが、夕鉄バスが1日6往復で運行していますので、今度はバスで訪れたいと考えています。

大学生活が終わる3月、これからずっと忘れないような1日でした……。

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